アニメと映画など

押井守「とどのつまり・・・」を読む。その1

 「とどのつまり・・・」とは

 月間「アニメージュ」(徳間書店)の1984年8月号から1985年9月号まで連載された漫画作品です。
 原作を押井守、作画をアニメーターの森山ゆうじが担当していました。時期的には「ビューティフルドリーマー」の直後から、監督予定だった映画「ルパン三世」がずっこけて、「天使のたまご」の製作中の頃なので、ばりばり夢の話です。


 漫画のラフまでを押井が描き、絵的な仕上げを森山がやっていたようです。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 ラフとは言ってもかなり描き込まれているので、このまま押井の絵での連載もありだったような気もします(この辺は押井の癖のある絵の好き嫌いによると思いますが)。
 のちの「犬狼伝説」や「セラフィム」は多分、シナリオを漫画家に渡す形で書かれていると思うので、比較すると、「とどのつまり・・・」のほうが画面構成・レイアウト・間合いなど、押井色が強く出ていて僕はとても好きです。

「とどのつまり・・・」のザックリとしたあらすじ

 押井守なので物語の筋が重要なのではなく、場面場面の積み重なりに意味があるのですが、無理やりザックリと内容を紹介すると、舞台は近未来の日本、どこからか未登録児童(アリス)が現れ徘徊するようになり、トランプと呼ばれる警察当局がアリスを追っています。
 アニメーターをしている主人公は、偶然出会ったアリスをかくまったことで、トランプに追われることになります。
 主人公は未登録児童逃亡援助組織CATSに救いを求めて関係者と出会っていくうちに、そもそも自分が何者か知らなかったことに気づきます。何者か知らなかったとしても生きていかねばならず、悩みながらトランプとCATSの抗争に巻き込まれてしまう・・・という展開です。
 
 アリスとトランプと猫という記号でわかる通り「不思議の国のアリス」を下敷きにしています。と言いながらも押井流にですが。そして夢の中の話ということで、アリスはアリスでいいし、トランプもトランプでいいのですが、その夢の中で自分は何を何のために行えばいいのか?と葛藤する話というのがざっくりとしたあらすじだと思います。
 あとがきで押井守が書いているのですが「連載当時、同時進行していた映画の企画が次々に潰れるなど、作者の不幸な精神状態を反映してか~」という背景もあり、絶望感・悪夢感・行き止まり感に満ちているところが、この作品の味になっているように思います。

押井守が書いたあとがき

押井はあとがきとして、このような文章を寄せています。
下手な解説より、この文のほうが伝わる気がするのでそのまま引用します。
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 あれはもう数年前の冬、仕事場からの帰り路。私鉄の駅近くのバス停で、終バスを待っていたときのことだったと思います。

ふと気づくと、駅の方向からバス停を目指して来るはずの人影もなく、目の前の四車線の街道に見渡す限り車のヘッドライトも途絶 え、奇妙に場違いな静寂の中で風景がゆっくりと遠ざかっていくいつものあの非現実感の真只中で、その女の子に出会ったのです。
 凝っとこちらを見あげている強情そうな顔。汚れた掌に握りしめたランチボックス。
 やがてやって来た終バスに乗り込みつつ、何故か置き捨てにして ゆくような後ろめたさにふり向いたのがきっかけで、結局その女の子を連れて、女友達のアパートへ転がり込むことになります。
 妙に居心地の悪い三人での遅い夕食。傍らのTVからは、当局が “アリス”と呼ばれる一群の少女たちの一斉検挙に踏みきったとい うニュースが流れています。慌てふためく彼を尻目に、彼女が冷た く宣告します。「もうあなたはどこへも帰れない。その子が少女でなくなるまで、連れて逃げまわるしかないんだわ!」

 と、そこまでしか覚えていません。多分バスが終点について、そこで妄想が中断されたのでしょう。

 連載漫画という形式で何か書いてみないか、というお話があったとき、すぐにこのときのことを思い出しました。
 もう少し先まであの子とつき合ってみたら、どこへ行くことにな るのか。行けるところまで行ってしまいたいという、ヤケ気味のス タートでした。『とどのつまり・・・」というタイトルも、その時に担 当の鈴木さんにつけて戴いたのですが、いま考えると、その時の気 分にピタリ符号していたのかもしれません。
 連載当時、同時進行していた映画の企画が次々に潰れるなど、作者の不幸な精神状態を反映してか、物語の方は少女とすれ違いっぱなしで、怪し気な「動機なき過激アニメーター」たちのドタバタに なだれ込み、主人公に到っては、動機どころか、自分の存在すら判らなくなるというていたらくとなりましたが、あの女の子こそ、自分にとっての唯一の動機だという強引な思い込みに支えられて、なんとか連載を終了することができました。
 もし第二部があり得るのなら、今度こそあの少女と行けるところまで行ってしまおうと、いまは考えています。

 最後に、この訳の判らぬ物語に最後までつきあってくれた森山君、 担当の鈴木さん、一冊にまとめるにあたってお世話になった編集部 の片桐君に、深く感謝いたします。
押井守
1985.8.21(土)
(このあとがきは、1985年11月刊行の旧版に収録されていたものです)

「とどのつまり・・・」の構造について

 連載作品でもありますし、押井の当初の予定通りにはなっていないと思われますが、構造を整理してみます。これ以降はネタバレ有りです。

1,下水溝の巡回をする警備員2人の会話から始まります。
 「人類の偉大にして巨大なるごみ溜め・・・人間がポコポコ来るとこじゃないすよ。」「この街が生れて30年、この下水溝が出来てから30年、盛大に溜まったゴミも30年分。だからここには、この街の人間の捨てたすべてがあるわけです。」

 下水溝で遊んでいるアリスを見つける警備員。下水の中に生息する水猫が飛び出して、スタッフ警備員に襲い掛る。
最新鋭の装備で事故現場にものものしく出動するトランプたち。

 そのTVニュースを見ているアニメスタジオ三月兎のアニメーターたち。主人公は眠っています。
目が覚めて、時計を見て走り出す主人公。兎さんですよね。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 バス停で、時計を耳に当てる主人公。時刻はもう深夜。
「時計だって、放っておかれりゃいつかは止まるのだ」
その時に主人公は、傍らにたたずむアリスと目が合うのです。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

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 水猫に襲われ命を落とす学生アルバイト小早川啓一さん。
 本作のキーパーソンのおひとりです。時代劇などでは無名の役者が、斬られ役専門で何度も斬り殺される役を演じます。本作でもこのメガネの方が何度もあちこちに登場するのですが、あろうことか主人公がそれに気が付いてしまいます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 この街が出来上がって30年、と30年が強調されてるのは何だろうと思っていたのですが、よく考えればこの作品が連載されたのは1984年。押井が33歳の時なのです。ということは、この街とは押井本人の人生の比喩なのではないか?と思いつきました。とすると、下水に流れる汚物やや水猫やアリスとは押井が捨てたもの、失くしたもの、忘れたもの、なのかもしれません。

「不思議の国のアリス」になぞらえるなら、ここにアリスが居るということは、ここはアリスの見ている夢であり、主人公は夢の世界の住人ということになります。
 止まってしまった時計を持つ白うさぎ。時計が止まるほど長い時間アリスの登場を待たされたということでしょうか。アリスと出会う事でようやく、白うさぎである主人公の時間が流れ始めるのです。

2,主人公の彼女の部屋
に、アリスを連れて訪れる主人公。一瞬驚くが、状況を受け入れる彼女。
 外は下水をひっくり返したような雨。酷く匂う。二人に風呂に入れと指示する彼女。
主人公は、風呂場で「アリスは何故現れ、何故トランプが追うのか?また、アリスの逃亡を支援する組織があり、それは自分の同僚たちではないか?」と考えます。今まで知らずに済んでいたけれど、アリスを拾ったことで自分が面倒な世界に向き合わなければならない事実に気が付いたのです。億劫ではあるが好奇心もある、と主人公は思います。

 そうめんを食べる主人公と彼女とアリス。
 アリスを連れて来たことで彼女が怒っているのではないかと主人公は心配します。
しかし、「あら今更、私もかつてはアリスでならしましたの。話したことなかったかしら、実はそうなの。どうぞよろしく」とほほ笑む彼女。
「たまにいるのよ。私みたいにこっちに居ついて成長してしまうの」

下水の匂いと暖かさに包まれる主人公。。。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

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 主人公と彼女のパワーバランスは、完全に彼女に主導権があることがわかります。
彼女もかつてアリスであったなら、彼女は主人公にとってどのような存在なのでしょうか?
下水の匂いの中に沈む主人公。自分の記憶のある部分に触れると匂ってくるのかもしれません。

もっと言ってしまうと、彼女は自分がかつてアリスだったことを知らない(忘れている)主人公にいら立ちを感じてる風でもあります。アリスの存在が動機であるなら、かつては彼女は主人公の動機であったのだろうからです。

 鼻たれのアリスが今どこかで眠って見ている夢がこの世界であり、その中にかつてアリスのように夢を見て夢から覚めないまま大人になった女性が目の前にいる。主人公の物語が始まっているのです。

3,帽子屋と名前を変えたアニメスタジオ三月兎
CATSのメンバーならアリスを逃がしてほしい、とアニメーターたちに相談する主人公だが、アニメーターたちは「不思議の国のアリス」のお茶会のように要領を得ない返事をするばかり。。

「退屈だわ、げろ吐きそう」と彼女は不満をくちにします。仲間と彼女のどちらも味方になってもらえない主人公。
アニメーターに問われ、初めて主人公は「アリスをどこへ逃がすのか?」がわからないことに気が付きます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

「そうなのだ。オレはあるとき突然そこに存在したのだ。何の理由もなく。
気が付いてみたらそこに放り出されて(というよりそっと置き捨てられて)いたのだ。
目的もなくあちこちうろつき回る以外に何ができたろう?」
「世界はそのまま巨大な舞台であり、自分を含めてすべての人間はその上で
それぞれの役割を演じる役者なのではないかという、疑問というよりそれは確信に近いものだった。
そしてこの芝居が恐ろしいのは、いつ幕があき、どこで幕がおりるのか、演じ続けながらどうしても思い出せない事なのだ」


 翌朝、主人公が起きると、彼女の密告によって、スタジオがトランプに包囲されています。

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 彼女は、ここでトランプ側に寝返ります。
主人公にとって味方であってほしい人が、敵?になってしまいます。ここからは彼女は主人公と別行動でトランプ側につきます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より


4,トランプに包囲され、意気揚々と戦闘準備を始める同僚たち。
 いくらなんでもそこまで、と言う主人公に対し、同僚たちは「お前、こうなってほしかったんだろ?」と言います。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

「お前はそれを期待していた!!違うか!?」
彼女がトランプを連れて来て、同僚のアニメーターたちが籠城戦を始めてくれて初めて、主人公は「当事者である自分も何かしなければ」と考えます。

この後、主人公はアリスを連れて地下から脱出します。アニメーターのアドバイスで時計堂というスタジオの演出家に会うために。
同僚のアニメーターVSトランプの戦いで、スタジオは全滅。同僚たちも全員死にます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より


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本来であれば、主人公である彼が物語を動かしていく筈なのですが、アリスを連れた彼は「何をすべきなのかがわからない」ので周囲の人間たちが舞台のおぜん立てをしてくれているわけなのですが、主人公にはそれがわかりません。
ただ逃げ出すだけです。

一方、現場では、水猫に殺されたはずの眼鏡の男が端役(台詞在り)を演じています。
このカットでは「ホント!」と返事してる男は胸に銃弾の穴が開いていますし、左のコマではどう見ても死んでるような隊員が立っています。映画の撮影のようですが、間違いなく撃たれて血が出たりしている悪夢的な場面です。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

その2に続きます。


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