アニメと映画など

押井守「とどのつまり・・・」を読む。その2

その1の続きです。

「とどのつまり・・・」の構造について(つづき)

三月兎を逃げ出した主人公が泣きつく先は・・・

5,「時計堂」の演出家(と5人の演出助手)に会う主人公とアリス。
二人は時計堂に匿われることになります。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

主人公「あの・・・オレたちどうなるんでしょう」
演出家「そりゃおまえがどうしたいかによるさ」
主人公「オレはどうでもいいんですけど」
演出家「じゃ どうなってもいいようなもんだろうが」
主人公「どうにかなりさえすりゃという意味です」
演出家「そりゃどうにかなるさ。そのままでいるわけはなかろうが」
主人公「そうですね」

 これは、ほぼ同じセリフが「不思議の国のアリス」に登場します。
考えてみたら、主人公もアリスも、どうしたいのかがわからないことが明かされます。
(押井の師匠である鳥海永行監督に顔が似ている)演出家は、スタジオ三月兎のアニメーターとトランプの戦闘を、普段のアニメ仕事での評価と同レベルで語るため、主人公には人が死んだという実感が伴いません。

 匿ってもらう代わりに、主人公はアニメーターとして働くことになるのですが、実は絵が全く描けないことに気が付きます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

6,絵が描けないことを契機に、自分に関する記憶が無いことがわかる主人公。名前も住所も思い出せず、アニメーターであるという自覚さえ間違っていたと気づきます。
 演出家「そんなんでよくアリスを逃がそうなんて気になったもんだ。お前自身が迷子じゃねえか!」

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 演出家は主人公にアドバイスを与えます。
「な、こう考えてみたことあるか? 自分は誰だろう? と考えている自分は一体なんだろうってな」
 そう言われて自分について考える自分について考える主人公。

 鏡に映る肉体としての自分・自分を観察するために作り出すもう一つの自分・生まれてから今までの歴史としての自分を振り返る事などを考えていくが、しかしそもそも「自分はいつから自分になったのか?」がわからない。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

<私>とは何なんだ!?
そこまで考えたところで、彼女がアリスをトランプのヘリで連れ去ってしまう。(彼女はあくまでもトランプ側なのです。)

7,アリスを奪還するべく戦闘準備をする演出家(と5人の演出助手)
まるで新作映画を製作するかのように、楽し気に戦闘準備を始める演出助手たち。やはりアニメ関係者たちで作られる未登録児童逃亡援助組織CATSが存在しているのかもしれないが、主人公には、そのノリが理解できず、反感のようなものを感じはじめます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 しかし、出撃を前に出前を取って飯を食う演出部。戦闘前とは思えぬ牧歌的で平和な光景がつづきます。
そして、出前のお兄さんが、眼鏡の男なのだと気が付いてしまう主人公。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 映画に於いて、斬られ役がいろんな端役を兼任していることに観客が気が付いてしまうと、映画の虚構が一瞬で失せてしまいます。何度も画面に映る斬られ役が目について仕方なくなり、もはや劇でさえなくなってしまいます。

 同じように、斬られ役の存在を主人公が気づいてしまったときに、主人公は演技を続けることは可能なのでしょうか?
 主人公は、自分が目の前の現実から零れ落ちていきそうなことを感じます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

8,トランプとの戦闘
 主人公の心象風景を表すように、街の風景は廃墟に変わっています。
 その1で書いたように、この街が主人公の比喩であるならば、すべてを失くした主人公と同様、街も廃墟になっていくのでしょう。主人公の身の回りの人間だけを残して、すべては消えてしまいます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 トランプの攻撃ヘリとの戦闘が始まります。
 危機一髪の場面で、主人公が放った対空ミサイルがヘリを打ち落としてしまいます。主人公が初めて自発的に、意志をもって行動した結果です。仲間?を守るためだったのかどうか、その行動の理由は説明されていません。しかし、自分が手を汚したという事実は、主人公にのしかかっていきます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

9,アニメーター部隊の集合場所へと下水溝を通って向かう面々。
 集合場所に仲間は集まってくるのだろうか?という主人公の疑問に色めき立つ演出助手たち。ヘリを落とし人を殺したことを指摘されて主人公は、今まで考えてきたCATSの存在の「疑い」を名探偵よろしく自説を展開します。

 ―CATSは、ただ自分が知らされてないだけで、アニメーターの公然の秘密として存在していると思っていた。
 三月兎の4人のアニメーターも、ここにいる時計堂の演出助手たちもCATSのメンバーであり、演出家はきっと幹部に違いなくて、みんなが秘密にすればするほど、その存在を疑わなかった。それどころか自分以外の全ての人間がCATSのメンバーなのではないかとさえ考えていたのだ、と。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

 しかし事態はまるで逆であり、CATSがあって自分が除け者にされているのではなく、自分を除け者にすることで実態も何もないCATS(の虚構)は存在できたのであって、つまりは全部周囲のアニメ関係者の芝居であったのではないかと、主人公は解き明かします。
 しかし、凄い妄想として一笑に付す演出助手たち。

「—だがしかし、もっともわからないことは・・・だ。このドタバタを仕組んだのがオレを除く全員だとしても一体何のためにこんな手の込んだことをするのか、その理由だ。」

 その疑問に演出家が答えます。
 CATSは主人公が考えているような未登録児童の逃亡を助ける組織ではなく、ただの幼女誘拐団だとしたらどうだ?と。
 周りの人間がすべてお前の事を中心に考えて行動しているわけではない、と主人公の自己中心的で被害的な妄想をひっくり返すのです。
 「そんなことよりも、お前には思い出さにゃならんことがヤマほどあるだろうが!」と。

ー------------------------
 ここのパートは、本来であれば台詞を全て引用しないと伝わりにくいかもしれません。読みにくくて申し訳ありません。非常に難しいパートです。。。
 主人公は演出家の言葉に納得したかのように描かれているのですが、前後の流れからすると、少し異質な場面な気がします(私の理解がおいついていない部分です)。
周りの人間はそれぞれ自身の事情で勝手に生きてるのであって、他人のためにドタバタを仕組んだりしないし、そもそも他人のことをそこまで考えたりはしない、という認識を得ることは、残酷なようではありますが現実ですよね。その通りで、このあと演出助手たちはまったく絡んできません。演出家のみが主人公を導いていきます。

10,野球場にしか見えないトランプ本部前に到着する主人公たち。
そこには武装した、アニメーターに見えないアニメーターたちが集合しています。現実は主人公の妄想を追い越し、主人公を吞み込んでいきます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

さらに群衆の中に死んだはずの三月兎のアニメーターたちの姿もあり、驚きます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

主人公の事などおかまいなしに、状況は緊迫の度を深めていきます。
しかし、主人公は何をすべきなのか、何がしたいのか未だにわかりません。前に主人公が考えたように、たとえこれが何かの壮大な冗談だったとしても、その先には戦闘があり、死ぬこともあり得ます。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

もう何度目かの斬られ役の眼鏡の男の「演技」を見ながら、主人公は自分が行動すべき根拠を探しますが見つかりません。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

答えが出ないまま、主人公はトランプの本部(野球場)に突入していきます。
「—そして、いまは不安も恐怖もなく、走り抜けてゆくその先に、オレを翻弄し続けたこの現実の真の姿が待ち構えているであろうことを確信していた。そうなのだ。人の生死のかかるときに現実はけっして冗談ではありえないのだから。」
そこには・・・。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より


爆弾で何もかもが吹っ飛ぶ。

11,目が覚めると3の風呂場。アリスも居て、すべて夢だったと気が付きます。
 台所からは彼女の声が聞こえます。
 恐ろしく長い夢だったと思い、夢のような酷いことになる前にアリスは明日にでも放り出して、自分はソーメン食って日常に戻ろうと決意します。

 しかし、そこには演出家も居て、そうはいかねぇよ、物語っていうのはそう簡単に幕を降ろせるもんじゃないと告げるのです。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

の風呂場に戻ったのは、すべて夢で良かったね?という楽観的なものではなく、此処からやり直せ、やってみせろ、というリトライなのだと主人公にもわかってきます。しかし、主人公はいまだ、何を何のためにすべきなのかわからないでいます。

主人公「こんなこと、いつまで続けりゃいいんでしょうね」
演出家「もちろん死ぬまでだ」

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

ドアの向こうには彼女が相手役として食事を用意して待っているし、振り返れば演出家がニヤニヤと笑って見ています。
自分は自分の物語を台本なしで演じなければならないし、相手役はいつまでも待ってはくれない。
それに何より、自分自身が、この先の物語を見たがっているから。。

徳間書店「とどのつまり・・・新装版」より

そして、本作は終わります。

個人的な感想

「とどのつまり・・・」は時期的に「ビューティフルドリーマー」で一気に時の人となり、怖いものなしで「ルパン三世完結編」に挑みクビになり、歯噛みながら「天使のたまご」を作り上げた時代の、押井守のいちばん勢いのあった時期の作品です。今ここが誰かの夢だとしてもハードな現実として生きなければならないオレとはだれか?という直接的な生き方論になってる所が、のちの作品よりも生っぽいかなと感じます。押井守の体臭を感じる愛すべき作品の一つです。

 当時高校生だった僕が、この漫画を読んで、自分とは何か?みたいな事を日々考えていたのを、懐かしく思い出します。
今回頭から読み直して行ったことで、発見が多くありました。
「不思議の国のアリス」も読み直す必要があり、比較すると押井の意図が明確になった部分もあります。
やはり一番の収穫は、下水が私という人間が捨てたり失くしたりしてきた歴史的産物の象徴であり、そこから水猫やアリスが現れるという構図が見えた事です。高校生の自分では思いつかなかったことです。また、彼女との関係性を、いろいろ想像できるようになったことも大きい収穫でした。そこにどういう底意があるかはわかりませんが、主人公にとって、彼女との夕食の場が大きな意味を持つのだと感じます。もしかしたら彼女に何か言わねばならない事があるのかも?と、そんなことも想像したりできました。かつてアリスだった彼女。かつての主人公の動機であり、もうひとつの動機が今チビとしてここに居る、彼女との代理戦争としてのトランプとの抗争・・・そんな妄想も膨らみます。

 この本、何やら絶版らしく、新書で買えません!!
徳間書店の本ってすぐ絶版にするのでしょうか?貴重な本を多く出しているのに絶版で買えない本が多いです・・・。「THE ART OF 天使のたまご」とか「イデオンライナーノート」とか。困りますね。
「とどのつまり・・・」はメルカリやヤフオク!でも出るので、興味のある方は購入されると良いかと思います。
長文を読んでいただきありがとうございました。

-アニメと映画など
-