アニメと映画など

うる星やつら「みじめ!愛とさすらいの母」その1

押井守の異色の挑戦作

 2022年現在リメイク放送されているアニメ版ではなく、1981年に放送されたアニメ版は「攻殻機動隊」「イノセンス」「スカイクロラ」の鬼才押井守監督がチーフディレクターを務め、当時非常に人気のあったシリーズです。

 当時押井は30歳。原作を自分なりに大きく味付け(改変)し押井印の作品を作り上げました。名作映画やアニメへのオマージュ(当時はパロディという言い方をされた)として、アニメでいかに映画的映像が作れるかを隙間隙間で実験をしていたようです。

 原作ファンが怒るから、原作をカット割りまで忠実に映像化するという作品が近年多くなってしまいましたが、漫画とアニメは表現媒体が違う以上、見せ方・語り方を変えなければならないし、その変え方を評価する時代もあったのです。押井が作ったシリーズはなんだかんだで人気がありました。これは高橋留美子の作品ではもはやないけれど面白い!と言わせる面白さがあったのです。
 TV放送が原作の連載に追いついてしまい、オリジナルの話数が増えるにつけ、当時の言葉で言うと「シュールな映像の話数」が増えていきました。その中でも最大の異色作となったのが101話「みじめ!愛とさすらいの母」です。

(画像は全て101話より引用させていただきました(C)高橋留美子・小学館)

「みじめ!愛とさすらいの母」について


 この話のメイン人物は、あたるの母。普段まったく光が当たらない主人公の母親をメインに据えています。主人公たちは殆ど登場せず。これだけでも充分挑戦的なのですが、母親が夢から目覚めるたびに別の夢の中に目覚めるという入れ子構造で、要は「劇場版うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」の原型なのですが、しかも最後まで目が覚めないまま終わるという、楽しく「うる星やつら」を見ようとしていた視聴者を殴りつけるような異様な一篇となりました。

 脚本は押井守本人、絵コンテ演出は西村純二となっていますが、おそらくコンテも押井だと僕は感じます。もしかしたら脚本なしでいきなりコンテを切ってるかもしれません。絵コンテを見れば押井だと一発でわかるので、なんとか手に入れたいと切望しています。。

 フジテレビの担当に怒られた、、と押井は言っていますが、この時に「怒られてもいいから、作りたいものを出したもん勝ち」と学んだのだと思います。「ビューティフルドリーマー」の時は納期まで時間がないという言い訳で、台本なしで絵コンテを書き上げ、上の人間に口を出させることなく傑作を作り上げました。完成した映画を見た原作者が激怒したらしいので、もし台本を提出していたら「ビューティフルドリーマー」は日の目を見なかったでしょう。

 押井はおそらく、その次の映画「ルパン三世」でもその作戦を取りたかったのかもしれませんが、東宝のお偉いさんがたに台本を見せる羽目になったことで、映画の監督を降ろされます。「わけがわからない」という理由だったらしいです。当然で、押井は映像で語る映画を作っているので、台本を読んでも良さは1mmもわからなかったのだと思います。出来上がっていれば、歴史に残る作品になっていたと思うので、、、、、惜しいことしましたね、東宝さん。

「愛とさすらいの母」の構造

 押井作品なので、物語(誰でもわかるような起承転結のストーリー)はありません。場面と展開のみがあり、そこから自由に視聴者が読み取れる構造になっています。

1,まず、主人公あたるの母親が、視聴者に話しかけるという場面から始まります。
日々、主婦として家事・育児に翻弄される忙しさが語られ、充実はしているが何かが欠けていることに気付いていることが語られます。
 1日のルーティンを説明する母の語りは押井的長台詞の饒舌さで、本来「うる星やつら」という作品では考える必要がなかった母親の苦労と、母親という人間存在が浮き上がってきます。夢物語としての呑気な「うる星やつら」の外の世界のリアリティが立ち現れてきます。

 母のセリフ「昨日なかったことが今日あるはずもなく、今日起きなかったことが明日起きるはずもございません。ただ、ただ時折、ふと何かの拍子に、この胸をかすめるのでございます。けして不満ではなく、娘時代の漠としたあこがれでもございません。なにかしら懐かしいようなあてどない想い・・」

2,母親の語りから客観描写にかわり、バーゲンセールの会場で他の主婦たちと争ううちに、フライングニ―パッドを食らって失神する場面が描かれます。ドタバタ風のアクションは、「ようやく、いつものうる星が始まった。よかった」と視聴者を安心させてくれますが、それは次の展開のための布石です。

3,失神した母が見る最初の夢
夢の中で聞こえるかごめかごめ。輪の中にいた見知らぬ少女が振り返り母に言う。
「あなたはだあれ?」
母は答えられない。

4,一回目の目ざめ。
一人目の医者。
「バーゲンセールの会場で転倒した時、頭を打ったのです。軽い脳震盪を起こしただけで、別段他に障害はないので心配する必要はありません。」
「あなた、自分がどこへ帰ればいいのか、知っていますね?よく居るんですよ。知らない人が。知っていればよいのです。」

 サクラ先生がデパートの医者を演じているのか、実はサクラ先生ではない他人なのかわからない演出によって、キャラクターに与えられた設定が不動ではないことを暗示しています。これも押井作品では言及が多い部分だと思います。
 さっきまでAというキャラクターだった人物が次に現れた時にはBというキャラを演じている・・・押井は原作を書いた漫画「とどのつまり・・・」の中では、それを時代劇の斬られ役と表現しています。斬られ役はモブシーンで何回も死ぬし、ちょい役でちらっと出てきたりもします。しかし視聴者が一旦斬られ役の存在に気が付いてしまうと、目の前の虚構が崩壊してしまいます。
 そのように、本来の役ではない別のキャラクターとしていつものメンバーが登場することで、母親という役もまた不動ではないことが示さます。

 医務室を出ると夜のデパート。
 押井守が大好きなマネキンが描かれてることに注意。押井は「自分が横を見ている間に、目の前の人がマネキンになってる、風景が裏に回れば書き割りになってる」というような感覚が常にあると自分の事を話しています。マネキンのモチーフは押井作品に頻出します。

 そして、夢の中の少女とすれ違うが、母は気が付きません。
 異様に空いた電車に乗って家に帰ると、夫は既に死に、自分もすでに老婆になっていることに気が付くのです。

5,二回目の目ざめ。
 二人目の医者(温泉マーク)
「バーゲンセールの会場で転倒した時、頭を打ったのです。軽い脳震盪を起こしただけで、別段他に障害はないので心配する必要はありません。」最初の医者と全く同じセリフを話す医者。

母「怖い、とても怖い夢を見ました。ここと同じような部屋で目が覚めて、家に帰ると急に歳を取っているんです」
医者「夢です。それは夢です。奥さん。違いますか?」
部屋を出ると、今度は昼のデパート。先ほどのようなバーゲンセールの風景の中に戻っていけない母。

 タクシーで家に帰る母(全く説明はありませんが、おそらく電車に乗りたくなかったのかもしれません)。
家に帰ってあたるを見て安心し、先ほどの夢の話をあたるに聞かせようとしたとき、台所からもう一人の自分があたるの母として出てきて驚く母。二人の母親の間で混乱し叫ぶあたる。

  ここで注目しないといけないのは、家に帰ってきた母親は驚愕の表情になっていますが、家に居た母親は平然とし、叫んでいるあたるを「あら、どうしたのかしら、この子は?」みたいな芝居をきちんと描いていることです。描いている以上、意味があるはずなのですが、僕はここの表現の意味をうまく言語化できていません。ただ、もうひとりの自分が家に居て、そっちの自分のほうが家に馴染んでいるのだとしたら、自分は要らない存在だと思うだろうと思います。

Aパートはここまでです。
 僕は中学生のころ本放送でこれを見、わけがわからない恐怖と、なにかとんでもないものを見てしまっている高揚感に包まれていたように思います。うる星でちょっとシュールな演出や、一風変わった話はいくつもあったけれど、TVの前で背筋が震えるような気がしたのを覚えています。

 その2に続きます。


101話の動画はU-NEXTでも配信されています。
(本ページの情報は2022年11月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。)

アマゾンプライムビデオも配信有ります。
(2022年11月現在は見放題ではないようです。)

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