アニメと映画など

うる星やつら「みじめ!愛とさすらいの母」その2

 その1に引き続き「うる星やつら」101話「みじめ!愛とさすらいの母」のBパートです。
(画像は全て101話より引用させていただきました(C)高橋留美子・小学館)

「愛とさすらいの母」の構造(続き)

6,三回目の目ざめ。
 Bパートの頭は医者の声(メガネ)が聞こえてくる場面から始まります。
医者の声「これから三つ数えて指が鳴ると、あなたは目覚めます。3,2,1、パチン」
母親目が覚めて「ここはどこ?私は何をしているの?」
医者は自分は精神分析医であり、母親に暗示をかけたと言います。心のなやみを治療しやすいように夢を見せたもので、夢の中の二人の医者は自分の影だと説明します。
「そしてこの二つの夢の中に奥様の潜在意識、、、つまり心の奥底に秘められた願望が隠されているんです」


「いいですか?よく思い出してください」と、母と視聴者が同時にAパートを振り返りながら考える構造となっています。
 一つ目の夢は、夫は既に死亡、ラムちゃんは声だけ、あたるの分身の存在のみがいる、、、二つ目の夢は 母とあたるしかいない。分析医の結論は「家にはあたるくん、もしくはあたるの分身が存在し、夫やラムちゃんはその存在を巧みに消されている。あなたの無意識の願望は邪魔者を排除し子供を独占したいという母親の永遠の願望にほかならない」

 (余談ですが、右の画像、奥にある窓ともスクリーンとも見える白い四角が気になりますね。プラトンが言う洞窟の奥に映し出される影絵のようなものだと、勝手に想像しています。)

 このように、謎解き役が意味不明の展開を解説して見せるという展開は「ビューティフルドリーマー」にも出てきます。というか押井守の作品には、そのように解説する場面が必ずと言っていいほどあるように思います。意味不明に思える展開を、名探偵よろしく弁舌巧みに解説し種明かしをしてみせるカタルシスが好きなのかもしれません。種明かしをされた主人公(と、視聴者)は状況を理解し、自分を取り囲む「世界の真実」に絶望したりおののいたりしながら、次の行動を選ぶことになります。
 今回の場合で言えば、母親は医者の解説を聞いて自ら「夢の世界」を受け入れることを決めます。

(ちなみにこの医者は、最初に出てきた「少女」について全く触れていません。押井作品における名探偵は解説しているフリをしているだけで、実はいちばん大事なことを覆い隠そうとする(煙にまこうとする)ペテン師のような存在でもあると思います。押井は映画の肝となる部分に関しては画で見せ、絶対に言語にしません。そうすることで視聴者に言語化できない何か、を埋め込む手法を使います。)

 あたるの母「意外と芸のない結論ですのね。なんなら通俗と言ってもよろしくてよ。その程度の分析で私の心の秘密を暴こうなんて随分と安く見られたものね。この役立たず。さっき、夢がどうしたこうしたと仰ってたけど、今こうして私とあなたが向き合ってる世界が、まだ私の夢の続きでないとどうしていえるの?」「二人の医者が自分の影だとは語るに落ちたわね。今そこでそうしてるあなた自身、だれかの陰でないとどうして言えるの?そう、もしこの部屋がわたしの夢の産物なら、あなたを作り出したのもわたしかもしれなくってよ。」

 あたるの母は、名探偵が解き明かした世界も夢の続きに過ぎないと断じ、この世界が夢の中なら、自分の満たされなかった願望を果たそうと考えます。「部屋」を破壊し、外の世界に飛び出していくあたるの母。

7,夢の中で楽しむあたるの母。
 美味しい料理を腹いっぱい、持ちきれないほどの宝石、家族に囲まれた幸福、、、。一転して「いつものうる星やつら」のようなギャグタッチとなって、一瞬視聴者も安心します。うんうん、これでこそうる星だ、と思うのもつかの間、空中浮遊をしているあたるの母にテンちゃんが告げます。
「そやけど、夢の中で墜落すると目が覚めるんやで・・・」
 テンちゃんだと思っていたのは、いつか見た少女。
 墜落し、あたるの母は夢から覚めます。

8,四人目の医者

 医者(面堂)「気が付かれましたか。軽い脳震盪を起こしただけで、他に障害はないので心配する必要はありません」
 あたるの母はあきらめたように医者に尋ねます「あの、今、自分が見たり聞いたり話したりしている世界が、夢なのか現実なのかを判断する方法ってあるんでしょうか?」
医者「さぁて、どうですかねぇ。。人間というのは現実に置いてしばしば非現実感を味わったり、意識の混乱やらとっちらかしを起こしますし、ま、おおむね夢というやつは奇妙にリアルだったりしますからね。どんなに現実感あふれる世界でも、それが誰かの長い長い夢の一部である可能性は否定できないでしょう」
母「誰かの、ですか?」
医者「そ、自分の夢とは限りません。自分自身で考え行動してるつもりでも、そうするように夢を見ている誰かが考えているとすれば、何の根拠にもなりえません」

 このあたりの長いやり取りの間、ペンを持つ手が延々と、しかしこまかく芝居を付けながら意図を持って描かれます。万年筆のインクが出ないということを描写しています。これにも何か暗示された意味があるのだと思いますが説明はなく、視聴者は居心地の悪い気分になっていきます。
 押井は、台詞を聴かせたいときは映像の情報を減らすと発言しています。キャラクターの動作を止めてみたり、暗闇にしてみたりなど。このショットもそういう一種だと思いますが、どちらかというと「人と話している時に、話を聞きながら、相手の人のネクタイや指が気になってじっと見てしまう」という日常的な乖離の感覚を表しているような気もしています。いずれにしても、話している内容はひどく重要なのだけれど、微妙に現実感がないという気分になります。

 医者「あ、ひとつ忠告しておきますが、この世界が夢であると同じ可能性だけ、現実である可能性もあるわけです。よく考えてみてください」

 あたるの母も視聴者も「じゃあどうすればいいのか?」と同じ疑問をもつことになります。登場人物と視聴者の気持ちを完全に一致させた見事な演出だと思います。このように先が見えない、ある意味暴力的な展開を主人公と一緒に体験することで、視聴者は主人公と一緒に不安になり考え感じ、共感していくのだと思います。

9,現実かもしれない街で
 荒廃した街を歩くあたるの母。街路を戦車が走り上空を戦闘機が飛んでいます。
 「ビューティフルドリーマー」や「とどのつまり・・・」でもそうですが、押井作品では主人公が現実の不確かさを受け入れると急速に周りの風景が荒廃し廃墟になっていきます。その日の気分によって風景の見え方が変わるというのは誰しもあるかと思いますが、押井の場合はその感覚がより深刻であるように思います。
 その1で斬られ役の役者の事を書きましたが、斬られ役の存在に気が付いた瞬間から、その人はもう役者にしかみえなくなってしまいます。虚構のベールが壊れてしまう。それと同じように、風景もまた、虚構だと気づいてしまった瞬間に、その実態を表してしまうという事だと思います。押井の場合は、風景の実態が戦車の走り回る廃墟の街なのだろうと思います。

 その街で、あたるの母は戦車に轢かれそうになった、例の少女を助けます。
(これまた余談ですが、少女が追いかけているのが赤い球なのですが、押井には赤い球にも思い入れがあるらしく、「地獄の番犬ケルベロス」でも、犬的な主人公が追いかけています。他の作品でもみたような気が・・・。まぁ、「迷宮物件」の少女が遊んでるボールや、「天使のたまご」の少女が持ってるたまごも似たようなものだと言われればそうかもしれません。)

 助けられた少女は、あたるの母に問います。
「あなた、だあれ?」
母は微笑み、
「さぁ。別に諸星家の主婦でも、あたるの母でもなくてよかったみたいね。よくわからないわ。」

 押井作品に於いては、登場人物は非日常に陥り、自分の設定を見失ってしまってからの行動が問われます。自分とは何か?自分がなすべきことは何か?もう元の「何も知らなかった自分」に戻ることができないと理解したうえで、目の前の世界に立ち向かう必要があります。
これは、思い返してみると、ほぼすべての押井作品がそうですね。始まった段階ではあった肩書や立場や生活圏を失い、ただの「私」になった主人公が、状況に流されつつも見出した自分の意志のようなものを描こうとしてるのかもしれません。

 再び街を歩きだすあたるの母の周りで、人々が逃げ惑います。「奴らがきたぞー!」と叫びながら。
あたるの母がその先を見ると、ウェルズの「宇宙戦争」のトライポッドのようなものが街を襲っています。母はそれを見て呆れてしまうのでした。
「こりゃあ、あたしの趣味じゃないなぁ・・・」
つまり、今自分が居る世界は、自分の夢ではなく、誰かの夢だと悟ります。あたるの母にしてみればまるで漫画みたいな世界で実感を感じられません。

 しかし、あたるの母は自宅を守りながらトライポッドの攻撃で吹っ飛ぶ夫の姿を目撃してしまいます。
「あなたー!危ない!」そう叫ぶあたるの母に、夫は一瞬振り返ります。たとえこれが誰かの夢だとしても夫の死は恐ろしいし、夫が振り返ったことからも、この世界では自分たちは夫婦として愛し合っていたのだと彼女は気づいたかもしれません。

9,五人目の医者
 どこかの廃ビルの中で、目覚めるあたるの母。戦闘服を着た医者(再びサクラさん)が声を掛けます。「気づかれたか。先刻の戦闘で頭を打っただけだ。軽い脳震盪を起こしただけで、他に障害はないから心配は無用じゃ」周囲から聞こえる銃声。


 気が付けば自分もまたパルチザンのような服を着ていて、周りのいつものメンバーたちも武装しています。状況を飲み込めないあたるの母。
温泉マーク「諸星さん、意識ははっきりしてますか?」
あたるの母「ええ。・・・・・・夢を見ました。長い長い夢。バーゲンセールの会場で頭を打って、いろんな夢を見る夢。」
温泉マーク「バーゲンセールかぁ。懐かしい言葉ですなぁ。奴らとの戦闘が始まったのは遥か昔のような気がします。」


サクラさん「最初の一日の戦いで、この国はがれきの山になってしまった。今更時間など無意味じゃ。」
あたるの母「最期に、主人が吹っ飛ぶ夢を見ました。あれは、本当だったのかしら。」
チビ「敵襲ー----------!」激しい爆発。

 この場面は今までの夢の中では、いちばん真実味があります。今まで医者として登場していたメインキャラたちが、いつもの役に戻っています。つまりいちばん「うる星」らしい世界なのですが、状況は悲惨なことになっています。あたるの母も、ここが現実だと確信を深めていきます。

 地平線を埋め尽くす敵(チェリー)とトライポッド。あたるの母は質問します。「一つだけ訊きたいんだけど、あたるはどうなったのかしら?!」
メガネ「真っ先に宇宙に逃亡したよ!あの裏切り者が!」


 このセリフの場面、あたるの事を心配する母親の顔を写しません。周りのキャラを写しています。ここが凄く上手いと思います。周囲の人間のあたるに対する気分を感じさせ、それを聞いた母親がどんな表情をしているかを見せないで想像させています。おそらく、逃亡したと聞いて安心はしたと思いますがとても複雑な気分だったのではないでしょうか?見せない事で見せる演出です。そして向かってくる敵群に自らも銃を撃つあたるの母。
 と、総員が突撃する白兵戦の寸前に巨大な爆発が起こり、敵も味方もすべてが吹き飛んでしまう・・・。

10,最後の夢
 前に書いた通り、押井守はここ一番というところでは徹底的に画で見せます。このラストもほぼ台詞は無く、映像でわかれ!感じろ!とばかりに映像を押し込んできます。押井が描きたかった部分のキモはここであって、今までの部分はこれを描くために必要だったわけです。以下、画が多くなりますが・・・。


 爆発で何もかも見えなくなった後に、かごめかごめの歌が聞こえてきます。
 焦土で例の少女が顔を伏せてしゃがんでいて、その周りを回る人々の幽霊のような影。
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるとかめがすべった

 少女の周りをまわっているのは、今までの夢の中で出てきたオールキャスト。セールスマンからバーゲンセールの奥様までが手を繋いで回っています。その中にはあたるの母もいます。

うしろのしょうめん だあれ
少女が振り返ると、その瞬間、少女とあたるの母が入れ替わります。(この辺の編集見事です!)

ふたりで微笑みあう、少女とあたるの母。

空中にはあたるとラムちゃんを載せた船が浮かび、地上では、またかごめかごめが始まります。今度は少女とあたるの母が手を繋いで楽しそうに回っています。

そして、かごめかごめの歌とともに、このまま終わってしまいます。


「なんじゃこりゃぁ!!!」という叫びがおそらく全国同時にTVの前で起こったのではないかと思います(笑)

「愛とさすらいの母」についての思い出

 中学生だった僕も、姉と二人で見ながら「うあわああああああああああああ~!」と叫んだのを覚えています。やっちまった!とんでもないものを見てしまった!とんでもないものを作りやがった!とうめきながらエンディングの押井守の文字を見ていたような気がします。
 見ている人間を宇宙のかなたまで放り投げて、知らん顔して去ってしまったような暴力的な終わり方で、しかも次回予告ではまたいつものようなうる星の予告が能天気に流れて、多分、かなり多くの人の心に残った一話だったのではないでしょうか。
 これを水曜夜のゴールデンタイムに放送してしまったのは、事件と言ってもいいでしょう。フジテレビの人に怒られたのも納得します。

 さて、このように、押井守のキモの部分のラストシーンですが、これはもう見た人が自由にとらえていい部分なのですが、補足すると、かごめかごめで、いろいろな可能性が回転するのですが、最後は少女とあたるの母が手を繋いでいます。ということは輪の中心にいるのは誰でしょうか?映像では描かれていません。誰なのかを考えてみるのも楽しい事だと思います。

 僕個人の思い出を書くと、当時、この一話を非常に気に入りまして、わからない部分を一生懸命に解釈し考え、台詞を何度も何度も聞きなおすほど惚れ込んでしまいました。不条理性・響きが良くユニークな長台詞・夢と現実の不確定さを中学生の脳に染みわたらせて、多種多様の変わった映像や演劇に惹かれ、現実生活よりも夢想の中に生きる少年として育ち、同時期の押井守原作の漫画「とどのつまり・・・」「ビューティフルドリーマー」で、さらに押井守に感化されることになりました。
 自分の中で、今こうしている自分は夢ではないのか?という感覚が根付き、それが良かったのか悪かったのかはわかりませんが、今に至るまでおおきな世界の捉え方の基準になっているのがこの時期の押井作品なのです。

終わりに。

 こうして、「愛とさすらいの母」を紹介してきましたが、やっぱり動画で見て頂きたいです。現在では配信もあるようなので、ぜひ一度見て感じていただければ、と願っています。今回の記事がその参考になるのであれば、こんなに嬉しい事はありません。


101話の動画はU-NEXTでも配信されています。
(本ページの情報は2022年11月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。)

アマゾンプライムビデオも配信有ります。
(2022年11月現在は見放題ではないようです。)

-アニメと映画など
-,